「カッコよさ」の同心円
民族文化とか伝統文化には、現代文化とは少し評価基準がズレた「カッコよさの同心円」みたいなものがあって。
同心円の真ん中らへんが「超カッコいい」、そこから外へ行くほど「まあまあ」「フツー」「おダサ」、と評価が下がっていって、一番外側が「無し!ダサい!NG!」ゾーン。
民族文化とか伝統文化には、現代文化とは少し評価基準がズレた「カッコよさの同心円」みたいなものがあって。
同心円の真ん中らへんが「超カッコいい」、そこから外へ行くほど「まあまあ」「フツー」「おダサ」、と評価が下がっていって、一番外側が「無し!ダサい!NG!」ゾーン。
で、現代文化の同心円では一番外側の「無し! ダサい! NG!」なことが、別の文化圏の同心円では、真ん中の「超カッコいい~」になる。
だから、物事を「カッコよく」するには、それをかっこいいと思える環境におさめないといけない。ポルコロッソじゃないが「格好いいとはこういうことさ」という価値観の同心円を作っておかないと。
「ダサカッコいい」への昇華
前回、伝統芸能ってダサくない?、とさんざんディスっておいて何なんですが。
伝統芸能のダサさ、ってスゴイお洒落だと思うんですよ。
僕の場合、キムタクみたいな「隅から隅までカッコいい」っていう文化圏がニガテで。
例えばカラオケ行って、いわゆるカッコいい歌ってあるよね。
僕らの世代だとTMネットワークとかさ。
ああいう「隅から隅までカッコいい」ことを狙ってる歌って、自分ゴトキが歌っても、って気持ちがひいちゃうの。
それよりもウルフルズとか、ちょいダサな空気を作ってくれてる歌のほうが気がラク。
関西人が「マックとか言えるかボケ!」っていう感性に似てるかな。
高校生くらいの時テレビで、いわゆるカッコイイ系の歌手が
ズッチャカズッチャカお洒落なリズムに乗って歌ってて
合いの手で「oh,Year!」とか入れてたんだけど、
それを見たときに「無理―!」って思っちゃったの。
今から振り返ると、自分は表現欲求は高かったんだけど、それをぶつける媒体が
世間にあふれてるのものが「カッコいい」ものしか無くて、
やりたい気持ちはあるのに、やってもいい思い出が残らない。
だから民舞とか太鼓とか芸能に出会ったときに、そのちょいダサ加減に安心してハマれたんだと思う。
芸能って、「ダサカッコイイ」よね!
ダサいことでハードルを下げて、油断してるところに「・・・アレ? ちょっとカッコいいかも・・・?」って攻めてくる高等テクニック。
話はズレるけど。
マイケルジャクソンの「アンブレイカブル」って曲の終わりがけに、世界一カッコいい「ドーン!」が出てくるの!
「ドーン!」ですよ? 世界の誰がどうがんばっても喪黒福造にしかならないじゃないっすか! これをカッコよく叫べるマイケルって…。
でもライブインブカレストのマイケルの衣装は、やっぱり受け入れられないのでした。
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