どうしよう。こんなテーマを選んでしまった。
むむ~、とりあえず行けるとこまで行ってみます!


田楽座は同じ芸能を何度も習いに行くことが多い。
そうすると、習いに行くたびに「あれ? 前に教えてもらったことと違うぞ?」ということが、けっこうある。
でも教えてくれてる地元の人は、さも「昔っから変わっとらん!」的なフンイキ。

この「行くたびに教えてもらうことが違う」現象について考えてみた。
今回、小見出し多いよ~


★本当に変化してる説
事実として、芸能は変化してます。これはハッキリと断言できる。数十年前の録画や録音と比較すれば、同一の保存会の演奏でも、昔と今では、いろいろと変わってる。これは事実。

じゃ、保存会の人たちの「昔っから変わっとらん!」という言葉や想いはウソなのか?

それがそう単純には割り切れないのです。


★もともと幅のあるもの説
保存会の人に、「以前教えていただいたときには、こう教わったんですけど…」と恐る恐る申し出てみると、あっさりと「うん、そうやってる人もいたね~」。ガクっ。

一般的な傾向として、数十年前の現地芸能は「いろんな人がいた」。
現代の芸能は、フリやリズムの揃った、現代的視点で見れば「統率のとれた」ものが多くなってきたけど、昔はもっと個性豊かで、人によって(家によって)全然違った。だから、「以前はこう教わった」と言っても、それは教えてくれたその人がそうだった、というだけで、保存会の全員がそうだったわけじゃなかったかもしれない。


★「あの説明のしかたは間違ってた」
もともと芸能って、その地域に生まれた人たちが、見よう見まねで覚えていったものだから、コトバで説明して教える習慣がなかった。ところが遠い遠い長野県からはるばる、田楽座なんて連中が習いに来て、初めて「言葉で説明する」教える必要に迫られた。そこでムリヤリひりだした説明が、コトバとしては実際の芸能と矛盾してることだって、当然ある。
言った本人だって、後から「ちょっと極端なこと言っちゃったな」とか思ってたかもしれない。
伝えようとした中身が不変でも、説明の仕方が変化する、ということは、当然あり得るよね。


★「理解は誤解」説
「以前はこう教わったんですけど…」という、「以前の理解」そのものが誤解だった、ということもよくある。
「こう説明されたはず」という記憶自体は間違ってなくても、そのコトバの解釈がちょっと違った、浅かった、表面的だった。

「この時の踊りの正面はこっち!」「分かりました、正面はこっちですね!」
正面って言っても、それが目線の正面なのか顔の正面なのか、ヘソなのか、前足なのか。
あるいは身体のどこも正面をとってなくても「踊りの主観」として正面なのか。

解釈のしようが何通りだってある。その解釈の選択が間違ってた、ということはあり得るし、これは実際に田楽座でしょっちゅう起きてること。だから2回目、3回目に現地に行ったときに、「そういう意味だったのか!」と誤解がとけることが良くあります。(より正確に言うと「誤解が解けた」わけじゃなく、理解レベルが1段階進んだだけなんだけど)


#ガチ芸能トーク #郷土芸能 #民俗芸能 #現地あるある #理解は誤解 #田楽座
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こんな感じで、ダラダラ続けます~。
次回、9月23日(水)13時アップ予定!
さあ~、今週末から稽古場公演だ! アップ忘れてたらごめんなさい~。