現地取材トークつづきです。
演者がどうしたら上達できるのか? と言ったら、
けっきょく本人が「まじスゲー!」「カッコいい!」「こうなりたい!」と自分で憧れを感じるのが一番。演者は「やりたい」という動機が大事で、「やりたい」と強く思えば、結果的に体はそのように動く。
実際に現地で、名人の芸を目の当たりにして、「まじスゲー!」ってなると、それまで溜め込んできたリクツや解釈、基本の反復練習、誰かのアドバイス、そういったいろんな要素が、身体の内部でパズルのようにピシピシと組みあがって、一気に腑に落ちる。もうホントに、一夜にして変わる。
そうやって、本人の中に「やりたい」が強く生まれると、リクツや解釈の浸み込みも早い。他人のアドバイスも指導も「なるほど、そういうことだったのか!」とグングン入っていく。リクツや解釈は大事だけど、本人の「やりたい!」という動機があって、それでようやく実を結ぶ。
他人が教えられることと、教えられないことがある。
本人が自分の実体験から、感動したり発見したりすることは、他人は教えられない。
これが、田楽座が現地取材を大事にしている、一番大きな理由かなあ。
以下は私自身の、モースト「マジすげー!」ってなった話です。
岩手に獅子躍の取材に行った時の話。
未熟な我々の踊りを指導しながら、庭元(踊り組のトップ)の方が、柔らかな目を細めて
「腰なんか下げなくていいのサ。上手になったら自然に下がるから。
下手なうちに無理して下げようとすると、おかしなことになる。」
アタマをガーンとやられた気がしたなー…。
こっちは腰を「下げなきゃ」と思ってる。それが義務である限り、腰は下がらない。どこかで自由にならないと。
こっちは腰を「下げなきゃ」と思ってる。それが義務である限り、腰は下がらない。どこかで自由にならないと。
嫌がってる腰に、「下がれ!」と無理やり命令しても、腰は反発してしまう。
でも先輩たちの腰の下がった踊りを見て「うぉーカッコイイ!」と憧れたら、腰は自分で下がり「たがる」。
でも先輩たちの腰の下がった踊りを見て「うぉーカッコイイ!」と憧れたら、腰は自分で下がり「たがる」。
もちろんこれは、「練習するときに腰を下げなくていい」という話ではありませんよ! 念のため。
腰は下げなきゃいけない。
だけど「下げなきゃ」という義務的な動機しかない踊りは貧しい。
それを超える動機を発見することが大事、という話です。
腰は下げなきゃいけない。
だけど「下げなきゃ」という義務的な動機しかない踊りは貧しい。
それを超える動機を発見することが大事、という話です。
現地取材の話は話せばいくらでも出てくるけど、
しばらくカタい話が続いてしまったので、一回脱線します!
次回ブログ 「ピーターパンの衝撃」
6月10日(水)13時アップ予定です!
コメント
コメント一覧 (3)
ysknkym7321
がしました
そういえば、内田樹が感染する型、について語っていますよね。
一番わかりやすい例で言うと、ブルースリーだと。
ysknkym7321
がしました
下手なうちに無理して下げようとすると、おかしなことになる。」
が~~~ん!
人生すべてこれだけでいけるほどの言葉に包み切れない真実、という言葉に包み切れない真実、と言う言葉に包み切れない。
面白いなぁ!こういうのにぶつかるから人生面白くてやめられませんなぁ!
自由自在、とても好きな言葉です。
自らに由りて自ずと在る。
自らとは自らの中に観る自らを越えたサムシンググレートに自らを空にして預けた自らの謂い。
それに由りて自ずと在る。
もう何年も前のことになるけど早池峰神社の7月31日、
名手・佐々木さんの権現舞いが見せてくれたのは
始原の宇宙の時空間でした。
田楽座の湯立神楽も同じような響きを見せてくれるとても好きな舞です。
ではまた!
ysknkym7321
がしました